6

 突如、往葵と東野氏が椅子を跳ね飛ばし左側へ走って行ったので、百々は何事かとそちらを見た。
「あの、克山さん? 楢崎さん?」
 彼らはカーテンを開いて大声を出している。
「どうしたんだろ、あんな慌てて」城戸が不思議そうに言ったが、キッチンの方から返答は聞こえてこなかった。彼女と顔を見合わせる。
「返事がない。ちょっと皆さん、全員固まってこちらへ!」東野氏が振り返って叫んだ。皆戸惑いながら付いてゆく。
 キッチンを覗くと、そこで呼吸らしきものをするのは薬罐だけだった。
「あれっ、何処行ったの?」素早く飛び出して先頭に躍り出ていた城戸が声を上げる。
 その時、廊下の右奥に見える小さなドアが、ゆっくりと開いた。
「梁木原さんの部屋だ」東野氏が硬直する。
「あぁ……おおーい、みんな」
 嗄れた声を上げながらヨロヨロと出てきたのは、楢崎だった。
「どうしました!」まず往葵が駆け寄る。百々も遅れて近くへ行くと、彼が頭から血を流しているのが判った。
「克山の野郎にやられた。ちきしょう!」
 東野氏に支えられながらも、楢崎は一度ドンと足を踏みならす。
「何があったんです? キッチンに居たんじゃなかったんですか?」城戸が訊いた。
「それが……俺が……この部屋をちゃんと調べといた方がいいんじゃねえか、ってなんとなく言って……湯が沸く間に来てみたら……急に殴りかかられた」
 彼は下を向いたまま、途切れ途切れに説明する。
「きっと見られたくない物があるんです」往葵が部屋へ踏み込んだ。円香はその近くにいたがドアの前でストップし、城戸が追い越して中に入る。百々は後ろから覗き込んだ。
 床に壺のような物が転がっている。よく見ると血が付着していて、それで楢崎が殴られたのだろう。往葵は部屋を見回し、クローゼットへ歩み寄るとひと息に開けた。

 その中に梁木原が押し込められていた。顔は恐怖の表情を形作った瞬間から、刻が流れていない。出血はないが、一目見ただけで、もうその物体が生命を持っていない事を感じ取れた。

「キャアァァーー! もうイヤ!」円香が悲鳴を上げ、顔を両手で覆って後ろを向いた。
 さすがの城戸も、部屋の中で後ずさる。百々も吐き気を覚えた。しかし往葵だけは、全く動じずに死体へ顔を近づけて観察し、冷静に言ってのけた。
「絞殺ですね」
 信じられない。やはり彼は、どこかが普通ではない。
「奴は多分、裏口から逃げた」楢崎が疲れた声で呟いた。
「そうでしょうね」
 往葵はスタスタと出てきて、廊下を奥へ向かう。
「お、おい、気をつけるんだ」東野氏は慌てて楢崎を中之倉に押し付け、後を追った。城戸も続く。
 角を曲がるとそこは細長い廊下だった。ステージの裏側になり、ほぼ長さが同じだろう。両脇ともドアはない。進んでいくと、徐々にひんやりとした空気が感じられ始めた。
「ああ、開けっ放しですね」
 突き当たりで左を見て、往葵が声を上げる。東野氏は右を見た。そう、克山が身を隠している可能性もあるので油断してはいけない。
 百々も、追いついて左を見た。そしてその場でただ一人、戦慄した。
「ああ……これは……」
 誰もその呟きには気付かない。

    7

 遂に城戸がカメラを懐から取り出し、全ての状況を記録し始めた。慶子夫人あたりが抗議するのではないかと百々は思ったが、彼女を含めほとんどの人々は呆然としている。
 気休めかもしれないが裏口の鍵を閉めてからゆっくりと移動し、念のため人間の隠れられるスペースは目を通し、最後に薬罐の火を止めて、一同はホールへと戻って来た。
「また、気付くのが遅かった」東野氏はテーブルにうな垂れて言った。
「どういう事です?」城戸が質問する。
「いや、往葵君の推理なんだ。あれを話してくれないか」
「いえ、代わりに……お願いできませんか」往葵は話を振られたが、悔しそうな顔をしてそう言ったきり、黙りこくってしまった。
「うむ、つまり、さっき停電した時、克山さんが梁木原さんのふりをしてホールを走り抜けたらしい」
 東野氏の説明に全員が驚いた。いや、百々を除いて。その可能性には既に思い当たっていた。ただし事件の理解は、少々違うかもしれないが。
「その時既に、彼女は生きていなかったんですね」城戸が段々と皆の行動の中心へ入って来ていて、ここでも積極的に発言した。
「駿さんを殺したのは梁木原さんなのだろうが……」東野氏が言葉を接ぐ。
「計画を立てたのは克山だろう。その後あのメイドに全部ぶっ被せて消すことで、自分は捕まらないってわけだったんだ」
 楢崎が吐き捨てるように言った。怪我はそれほど酷くなかったらしく、一応元気ではある。
 しかし百々は、その意見に心の中で反論していた。あんな雑な隠し方では早晩発見されるに決まっている。その後、どう処理するつもりだったというのか?
「今度はどうする? やはり山を下りた方がいいだろうか」
 東野氏がまた提案したが、誰も返事ができない。人数が減ってしまった心細さを、嫌が応にも感じさせられた。
「動けませんね……。とりあえず朝までは、このまま頑張りましょう」百々が言った。真夜中のような気がしていたが、時計を見るとまだ八時半。気が遠くなる。

 一同はまず、邦親氏にインターフォンで状況を報せた。そして毛布や夜食をかき集めてきて、またホールで一固まりになった。
 玄関と裏口は閉めたが、もしかしたら克山がカギを持っていて侵入して来るかもしれない。緊張を解くわけにはいかなかった。そのうちテーブルでうとうとする者もあったが、最低一人は起きているようにした。

 長い夜を過ごすうち、百々の脳裏を昔の事件が過った。
 ずっと胸の奥へ押し込んでいた記憶。それが浮かび上がったのは、さっき往葵が見せた、冷静すぎる表情のせいだった。
 あの時と同じだ。
 彼は、ずっと変わらずにいたのだ。いや、変われずにいるのか――。
 しかしそれならば、今、自分にできる事があるかもしれない。
 百々は、秘かな決意を固めた。

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