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 城戸は週刊誌の記者である。下世話なものではなく、現代を生きる大人のための情報を提供、などという看板を一応掲げている。(でもたまに下世話な記事も載る)
 実はついこの間副編集長のポストへ上がったのだが、デスクに落ち着いて人を使うなどという体勢は全く性に合わなかった。今まで通り自らあちこち飛び回り、バリバリ記事を書いてゆくつもりである。
 今回の狙いは『伝説のミュージシャン・瀧沢邦親の現在』。音楽関係者からはクリスマスパーティーの開催以外は一切情報が得られず、こうなったらと強引に潜入する事にしたのだ。
 そして館でたまたま出会った女性が気が合いそうだったので、そんな事情は全部話してしまった。スッキリするし、何か今後の行動で有利になるかもしれない。
 今まで記者として様々な人間を取材してきたので、一目見ただけで大体タイプ分けをする事ができた。百々は以前会った漫画家の女性と同じ系統である。
 周囲にあまり影響を受けず、自分の内側にある価値観を強く見つめたまま少女時代を通り過ぎ、そのまま大人になっている。結果、箱入り娘のような上品さこそない(百々の場合で言えば、立つとき脚をピタリと閉じてはおらず、肩幅に開いてしまっている)のだが、ある種の純粋さが、確実に残っている。
 今の時代、女性達は開放される機会がいくらでもある。表面上に限っても、言葉遣いなどは崩れてゆく一方だ。城戸自身同年代より上の人間からは言葉が荒いとよく指摘されるが、三十代以下の現実はこれくらい平均だろうと思う。それがあの漫画家や百々は、とても柔らかな喋り方をする。
 あの言葉遣いでは何処へ行っても周囲から浮いてしまうだろうが、城戸は少しだけ憧れる。何も汚い物を知らなかった頃に戻りたいと、時折思うからだ。

「それで、音響の中之倉さんがたまたまダンナの知り合いだったから、そのコネで助手のフリをしようって。でも準備に間に合わなかったのねー」
 まだ百々とくつろぎながら話をしているところである。
「旦那さんがいらっしゃるのね」
「まぁ一応、トドみたいな奴が家に棲息してるよ。いてもいなくても変わんないけど」
「へぇ……」
「そうそう、あたし週刊誌の記事も色々書いてるけど、この前個人名でルポ本出したんだー」
 城戸はバッグを開け、ハードカバーを百々に渡した。
「一流の生態」彼女は両手で真っ直ぐ本を持ってタイトルを読み上げる。賞状の授与みたいだ。
「いろんな世界で活躍してる人に密着取材して、素の暮らしっぷりを暴くのよ。そういう人達って大抵、生活そのものがどっか変わってて面白いの。一日一食しか食べないとかさ」
「なるほど……」百々はパラパラと本を捲る。「実はわたしもそれに近いけど……」
「そうなんだ? 細いもんねぇ、ダメだよちゃんと食べなきゃ」
「つい研究に没頭しちゃって」
「そう、そのタイプよね。今度一緒に食事行こうよ、S市でも色々いいとこ知ってるから」編集部は東京だが、よく寄る城戸の実家と百々宅が近所である事が判明していた。
 そこまで話したところで、廊下の方からくぐもった声が聞こえた。
「き○○ーん」
「……木曾山?」と言いながら百々が立ち上がる。城戸はそれがツボにはまってソファの上で蹲り、プルプルと震えた。
 ドアが開けられると「あっ、城戸さん?」という声が聞こえた。
「いいえ。でも、こちらにいますよ」
「ああぁ失礼。中之倉です。PAの」彼は百々に話し掛けている。ボソボソと絨毯が低音で鳴ったので、多分体重が重い人だな、と予想。
「こんにちは、あたしが城戸実菜子です」戸口に中之倉の姿が現れると同時に、城戸も立ち上がった。
「ああぁあなたが塙(はなわ)君の奥さんですか?」
 彼は思った通り横幅がある。相対的にひどく小さく見えるメガネをかけていて、声は甲高い。
「そうです」
「私は希理優百々といいます」ドアの横で百々が小声で自己紹介した。
「すみませんね、先に出てきたのでェヘッ、ブファ間違ハッちゃいましたぁ」
 中之倉は後頭部に手をやり、吹き出して笑いながら彼女に話し掛けた。全然面白くないのに何が可笑しいのか。
「いえ……」百々は無表情で返している。
「準備終わっちゃったんですか?」城戸もドアの方へ。(ちょっと近寄りたくなかったが)
「ええ、執事の方に厳しく時間制限されましてぇ、慌ててやってきまハハッしたよぉ」また途中で、意味不明に笑っている。
「今のうちに色々見ておきたかったのになあ。本番では私入れそうですか?」
「ウゥーン、僕はディナーショーの間ステージ脇で機材を操作してるんですけど、手伝いとしてそこにいる事はできるかもしれません」中之倉は斜め後ろに傾ぎながら窮屈そうに腕組みをした。「しかし、アポなしで地下には降りられるかどうか……」
「地下? 邦親氏が暮らす部屋ですね? 絶対私も降りないと取材になりませんよ」
 城戸は詰め寄って捲し立てる。
「克山さんが許してくれないんじゃないかなぁ」彼は眉をハの字に歪め、ひどく困った顔になった。
「中之倉さんからも頼んで下さいよ!」
「なんて説得したらいいのかなぁ。ブファ! 奥さハハッんなんですって言っちゃうとかねヘェ〜」
 吹き出しながらそんな事を言い出したので、城戸の方は口をヘの字に歪めて後ずさった。
「アッそうだ、盛装しないとまずいかも。城戸さん着替えなんて――持ってないでしょうね?」
「え! 聞いてないですよ! あ〜もう最悪」思わず額に手をやる。「百々さんもう一着ない?」
「ごめんなさい、私これしか持ってないの……」黒のワンピースが壁に落ちた影と一体化しつつあった彼女が、か細い声で応えた。
「頼むとしたらドレスも借りなきゃいけないかもしれないんですねぇ、これは非常に心証が悪い事はタシカですねッヘヘェ」
 語尾でまた笑っている。一見馬鹿にされているのかと思うが、相対している雰囲気から判断すると、そうでもなさそうである。あくまで自分自身が喋っている事に対して、内側から笑いが込み上げている感じなのだ。
「んじゃあ電話して訊いてみますので、ちょっと待ってて下さい」
 中之倉は大股で廊下へ出ていった。
「なんだかイキナリ笑いだすの気持ち悪くない? 性格自体は悪い人じゃないんだろうけど」片手を添えて百々に囁く。
「私は別に……。数学者にはああいう人結構多いから、慣れてるのかも」
「へぇ、そうなの?」彼に似た男達が、学会か何かでうじゃうじゃ集まっている――そんな情景を思い浮かべ、思わず顔をしかめた。
「ところで随分強気だったけど、何か弱みでも握ってるの?」
 百々がカクリと首を傾げながら訊く。
「うわっ、アッハハ!」城戸は急に楽しくなった。「百々っち、強〜烈な突っ込みするのね」
「ごめんなさい、何言ってるのかしら私」彼女は視線を外し、恥ずかしそうに笑った。
「いいよぉ、スパイシーな貴女って好きよぉ」横から百々の片腕を掴んで軽く揺する。「でもね、今回のケースはただのゴリ押し」
「そうなんだ」
「あたしはもう、ダンナも奴隷のように扱ってるからね! あの人もその仲間だって事でつい責め立てちゃうんだろうな」
「なるほどね」百々は普段の無表情に戻って軽く頷いた。
「……類はトドを呼ぶ!」
 この攻撃で、百々を再び吹き出させる事に成功した。
 
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