第三章

    1

 パーティーの準備が整った気配なので、往葵と円香はプレゼントを仕舞って手をヒザに置いた。時刻は七時半。
 まず少しだけ客席側の照明が落とされ、代わりにステージが明るくなる。その左端へ克山が上り、先刻までよりも一層渋いバリトンを響かせた。
「皆様、大変お待たせ致しました。只今より当家のパーティーを始めたいと思います。ごゆっくりお楽しみ下さい。演目は時任由芽子様のディナーショー、そして楢崎大樹様のライブステージです。それでは時任様、どうぞ!」
「メリークリスマース!」 
 ワイヤレスマイクを持って右側から時任が出てきた。往葵は驚愕。何故かと言うと、衣裳がミニスカサンタだったからである。
「お食事もあるという事でゆったりした曲を揃えてるんですけど、これだけは外せませんよね!」
 彼女がそう言うとカラオケが流れ始めた。単純にCDで持ってきて、中之倉にかけてもらっているのだろう。曲はクリスマスを歌った時任の代表作で、アップテンポのため皆まだ料理に手をつけずに手拍子をした。
 円香は勿論ニコニコしているが、他の人々も結構乗っている。しかし百々を見ると誰よりも必死に手を敲いていて、口は半開きだった。全くいつもの彼女らしくないその姿に、往葵はこっそり微笑む。珍しい物が見られたものだ。
 盛り上がって一曲目が終わり、皆は少しずつ食事を始めた。目の前の皿にはあまり沢山の料理は載っていない。多分コースとかいうものなのだろう。往葵はそんな物を食べた経験がないので、先がよく見えなかった。
 練り物のように原型を留めないほど加工された何か、その上には妙な色のソースがかかり、それぞれの材料が肉なのか、魚なのか、はたまた野菜なのか――それすらも判断がつかなかったりする。しかし恐る恐る口に入れてみると、全てが例外なく、異様に美味しいのだった。
「私はデビュー前から瀧沢さんにお世話になっていて、幸運にもこの世界に漕ぎ出す事ができました。今日はあの頃の作品を多めにやろうと思います」
 時任がひとしきり語って、ピアノのイントロが鳴る。これはファーストアルバムの一曲目だ。往葵も百々に薦められてそのCDを買ったので、よく知っている。

 死を扱っているのに、誰も思いつかない切り口。まだ十代の頃の彼女の、驚くべき感性。そして斬新なコード進行の上に乗る美しいメロディー。三十年以上昔の作品だが、時の流れでさえもこの聖域を侵す事はできない。

 往葵が聴く限り、どうやら音はオリジナルでなく再録したカラオケのようだ。昔は録音のテープにコストがかかり、歌を抜いたバージョンを取っておく余裕が無い時もあったのだろう。残念ながら邦親氏が弾いたベースではないのかもしれない。
 間奏の間そんな事を考えていたが、それは寸断された。
 突然フッと明かりが消えたのだ。
 闇、そして気付いてみれば静寂。
「……え?」
 記憶を数秒巻き戻すと、天井の方でバチッという音がしたような気もする。ただし演奏も同時に止まったのだから、照明のみの故障ではない。停電である。
「あれれれ」時任がステージで声を上げた。勿論肉声のみ。
 するとその時、左から右へバタバタと足音が移動した。誰かが走って部屋を横切っている。皆が食事をしている三つのテーブルよりも後方である。
「わぁ、停電だ」ワンテンポ遅れて、円香が驚きの声を上げた。
「おやおや」東野氏の声もする。
「あの、今走っていったのは誰です?」
 往葵は全員に対して大きめの声で訊いた。とても異質な印象を受けたからである。
「ええ、誰かしら、あんなに慌てて」右のテーブルがあった辺りから、慶子夫人の声がする。
「よく転ばなかったねぇ」円香が呑気な調子で言ったが、それは重要かもしれない。
 動揺してすぐには思いつかなかったが、もしブレーカーがあちらにあるなら克山が上げに行ったという可能性もある。しかしいくら優秀な執事でも、この暗い中をダッシュできるだろうか? もし予め仕組まれた停電なら、こっそり片目だけ瞑っておけばすぐに行動できるのだが。
 カチッと音がして、左側で小さな明かりが灯った。楢崎がライターを点けたのだ。
「ちくしょう、大して見えねぇな」
 ぼんやりとその周りに百々と城戸のメガネ顔が確認できるが、それ以外はよく判らない。
「少々お待ち下さい、ブレーカーを見て参ります」
 克山はトレイを持って左前方にいた。やはり、走り抜けたのは彼ではなかったようだ。
「明かりはあるんか? コレ持ってけよ」楢崎が、ライターを少し持ち上げてぶっきらぼうに言う。
「あっ、どうもありがとうございます」
 彼はそれを受け取り、キッチン方面へ歩き出した。火を持っているため、左腕を伸ばして慎重にカーテンの切れ間を探している。
「私も足音を聞きました。でもここに全員いますね」城戸の声がした。
「梁木原さーん、何処ですか?」廊下に出た克山が声を張り上げている。
「メイドのあの子か……それとも駿さんか?」楢崎が闇の中で言う。ちょっと笑いが滲んでいるように聞こえた。
「あら、これってもしかして、ドッキリという奴かしら?」以前にそんな話が出ていたので、慶子夫人も少し楽しそうな声である。
 また別のライターが点いた。それは城戸のものだった。「克山さんは本気で驚いてたみたいでしたけど……」
「いやぁ、わからんぜ」
「あぁダメかー。全然暗い」今度は前方に、四角い形をした光。時任が荷物から取り出した携帯電話だったが、広い範囲を照らす事はできていない。
 とりあえずはそれを頼りに、彼女と中之倉がテーブルの方まで歩いて来た。慶子夫人も実のところは不安らしく、ストールを体の前で握りしめてこちらへ寄ってくる。
 他に光源を持った者はいなかった。この館が建つ山は圏外なので、携帯電話は皆別館の部屋に置いてきている。
「うーん、別に何も起こらんね」少々の沈黙の後、東野氏が腕組みをした。
「PAの負荷でしょうか?」往葵が中之倉に向かって訊いてみる。
「いやぁー、それはないと思いますよぉ? 毎年同じような規模でやってるんですから」
「そうですよね」
「あのアンプは七百ワットですが、フルパワーは出てないですし。キッチンで電子レンジ使ったりしてたとしても余裕はある筈ですけどね」彼は早口で説明した。
 それからほぼ間を置かず、照明が復活した。
「なぁんだ、あっさりついたね」円香がちょっとつまらなそうな顔をして、ポーンと背もたれに寄りかかった。
「メイドがブレーカーを落として逃げたんかな」楢崎が現実的な予想を口にする。
「でも多分、すぐ走り出すには距離があるのでは?」百々が細い声を発したが、内容は的確な反論である。
「おっ、そうか」
 彼は彼女の存在を忘れていたかのように少しのけ反った。確かに、黒っぽい服装の百々はそこだけ闇が残っていたように見えなくもない。
「そんな事をする動機が判りませんね」往葵は楢崎にというよりも、また全員へ向かって発言した。
「動機? ああ、理由ね」
 慶子夫人はそれを言い直した。つい探偵調になったが、一般人には耳慣れない言葉だったか。
「ブレーカーが落ちておりました」克山が現れた。そりゃそうだろう、と突っ込みそうになり、往葵はちょっと笑いを噛み殺す。
「梁木原さんはどうしたの?」東野氏が首を突き出すようにして訊いた。
「それが、見当たらないのです。しかも裏口の鍵は掛かっていました」
「お? じゃあ本当に走ってったんか?」楢崎は猫背を伸ばして玄関側を見る。
「あちらを確認してみましょう」
 往葵と共に、克山と東野氏が歩き出した。ゆっくりした動作だが楢崎もついてくる。
 カーテンを抜けて右側を見たが、玄関には何の違和感もない。しかし、遅れて出てきた楢崎が「おい、あれ!」と声を上げた。
 左側を見ると、プレゼントルームのドアに便箋が貼り付けられている。やや斜めである。
「なんでしょう、これは……」克山が近づき、慎重な手つきでそれを剥がす。
「おいみんな、ちょっと来てくれ」
 東野氏がカーテンに首を突っ込んで叫んでいた。

    2

 全員が見守る中、便箋が開封された。紙が一枚入っていて、手書きの文字が一行。

  これで駿さんは私のものです

 往葵は、背筋に寒気が走るのを感じた。
「ん? どういう意味だろう」東野氏が眉間にシワを寄せて最初に声を出す。
「これで、って、どれで?」円香は相変わらず、能天気な調子である。
「このドアに貼られていたのが意味深ですね」城戸が人々の間から細長い顔を突き出した。
「ええ……もしかして、この中で瀧沢駿氏が死んでいるのではないでしょうか」
 往葵は直感した内容をそのまま口にしてしまった。
「貴方! なんて事を言うの!」
 即座に慶子夫人がこちらへ金切り声を浴びせる。もう少しぼかして表現すればよかった。
「いや、まさかそんな」東野氏は引き攣った笑顔になる。周りの皆の表情にも、さざ波のように困惑が広がっていた。
「はい、すみませんでした……。そう、そんなサスペンスの悪戯という可能性もあります」弱々しく両手を広げ、今思いついた内容で誤魔化す。
「ええっ? もう、どちらなのかわからないわ……」慶子夫人はそれを聞いて一瞬静止し、額に手をやった。
「これは、あのメイドさんの筆跡ですか?」
 後ろの方にいた百々が、やっと手紙を覗き込んでいる。
「そうだと思います。見覚えがありますね」克山が応えた。ちなみに便箋も女性っぽいデザインである。ドアに貼り付ける方法は両面テープだった。
「あの小娘とうちの人がどうかしたっていうの? とりあえずこの部屋を開けてもらおうじゃないの」
 夫人が不機嫌な表情でドアを指さした。
「はい。勿論鍵は……」克山は一旦ノブを捻る。「掛かっていますね。裏のストッカーにありますので持って参ります」
「あの、僕も付いていっていいですか?」
 往葵は、これは本物の事件だと、何故か確信していた。誰かを一人で行動させる訳にはいかない。犯人が彼を襲う可能性と、彼自身が犯人で、証拠を隠滅する可能性が考えられる。
「ええ、構いませんが」克山は一瞬驚いたようだが、軽く頷いて歩き出した。
 手紙は一旦、東野氏に手渡される。指紋が気になったが、この段階でこれ以上出しゃばった発言をするのはまずいかもしれない。楢崎などはニヤニヤしてこちらを見ていた。
 二人でホールを通り過ぎ、反対側のカーテンも抜ける。この先は往葵には初めてだったが、サイズの大きいドアが二つあって左側の奥は行き止まり。奥行きなどは玄関側とやや違うようだ。左右対称の建物ではないのだな、と頭の隅で考える。
 右側の部屋へ入ると、そこはほとんどの面積がキッチンだった。ただし片隅が事務スペースのようでスチール机があり、その上方のキーストッカーにいくつかのカギが下げられている。見回すと、更に高い位置にブレーカーがあった。
 少し後ろから観察していたが、克山に怪しい動きはない。ストッカーには小さい文字で用途がメモされていた。『玄関』『裏口』『階段』――『特別』を彼は手に取った。『バス』の部分だけが空いている。
「バスのカギはどこに?」と訊くと、彼はあっさり「ああ、わたくしが持っております」と応え、ポケットからスッとそれを持ち上げてこちらへ見せた。
 早歩きで元の場所へ戻る。東野氏だけが玄関側にいた。
「今はここの鍵開いてるんだけど、さっきは閉めてあったかな?」こちらと目が合うと彼はドアを指さした。
「梁木原が時任様と楢崎様のお荷物を運んだ際に、施錠したと思いますが」克山が応える。
 そういえば、入ってきた時はただただ誘導されるままだったので、細かい記憶がない。ギターケース等をバスへ積んだ事も往葵は忘れていた。
「それじゃあやはり、誰か出ていったんだろうか」
 そう呟く東野氏と共に、またプレゼントルームの前へ戻る。克山の持つ鍵でドアが開けられた。

 相変わらず金銀のモールが輝き、相変わらず部屋の中央では赤い敷物が段差に被せられている。しかし、最後に見た時そこになかったものがあった。俯せに倒れた、人間の体だ。

「キャーー!」
 円香だけが、テレビドラマのように悲鳴を上げた。他の皆は息を飲む。
「あ……あなた? 冗談なんでしょう?」
 慶子夫人が恐怖と笑いの入り交じった表情をして、ゆっくりと進み出る。続いて克山と往葵が部屋に入った。
 スーツ姿の男性である。東野氏よりは身長があるだろう。近付いて初めて、頭の下に液体が溜っているのが判った。
 三人はその人物の顔を覗き込む――慶子夫人が失神して、ドサリと倒れ込んだ。目も鼻も判別できない程に、血塗れだったのだ。
「こ、これは……!」克山は硬直する。
「ど、どうした? 駿さんなのか?」戸口から東野氏が声を掛けた。
「本物の、殺人事件です」
 往葵は片膝をついたまま皆を振り返り、それだけ応えた。自分でも信じられない程に落ち着いている。何故だろう?
「お、奥様、しっかり」やっと克山が夫人を助け起こし始めた。
「誰か警察を呼んで下さい!」そう叫びながら倒れた男性の反対側へ回り込み、注意して手首にだけ触る。「脈もない……駄目か」
 救急車は呼ばなくてもいいな、と、またも落ち着き過ぎた思考。
「し、死んでるんですかァ?」
 中之倉が甲高い声を出した。まだ戸口の人々は立ち竦んでいる。
「電話を! ホールにもありますか?」往葵はきびきびと歩き出した。
「中之倉さん、お願いします」克山がやっと指示する。
「は、はいィィ」
 今度は彼と二人でホールへ走った。付いていくと、ステージ脇の少し引っ込んだ場所に電話があった。今は周りに音響機材がいくつも置かれている。
 中之倉が受話器を取り、太い指で慌ただしくボタンを押して耳に当てた。
「ア、アレッ?」
 彼は目をパチクリさせる。
「まさか」往葵が声を掛けた。
「いや、何か間違えたかも。エヘヘヘヘヘヘ動揺しちゃって」確かに動揺している。
 一度外線のランプを消してから再び点けて、1・1・0。中之倉の表情が凍り付いた。
「――通じません」
「なんて事だ」
 往葵も受話器を取り上げ、素早くもう一度試した。しかし操作を間違うような機械ではない。明らかに、掛からない。
「これは、電話線を切られたんでしょうね」
 冷静に呟いた。定番だな、と頭の中で突っ込みながら。
「エエェエエエ」中之倉は首を縮めて悲鳴のような声を出した。
 カーテンの向こうへ戻ると、慶子夫人が廊下まで運び出され壁に寄り掛かっていた。
「皆さァン! 大変です! 通じないんですよォ」
「うっわ、ヤベェな」楢崎は中之倉の報告を聞いて苦笑いをしている。
「本当なの?」
 百々がこちらを見つめて訊いたので、頷き返した。
「ホールの電話機しか試していませんが、おそらく」
 そしてもう一度だけ、プレゼントルームの中へ視線を移す。
(最悪のプレゼント、か……。)
 往葵はそんな事を思った。

 
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