7

 三番目に事情聴取を終えた往葵は部屋へ戻り、円香を交替に送り出した。
 静かになると、先程の百々の言葉が気になってくる。しかし改めて考えをまとめ直してみるものの、他の可能性には思い当たらない。あのカーテンのちょっとしたトリックで十分ではないか……。
「往葵君、戻ってる?」
 しばらくすると、ノックと共に百々の声が聞こえた。
「はい、今は一人です」ドアを開ける。また城戸もついて来ていた。「百々さん、さっきはすみません」
「別にいいけど……。」
 百々がほんの少しだけ口を尖らせたのに往葵は気付いた。他の人間には見極められないだろう。彼女と特殊な関係である事を、少し実感する。
「ゆっきょん、情報持ってきたよ。なんか考えある?」
 城戸はまだ変なアダ名を使い続けていて、往葵と百々を苦笑させた。
 ソファで一通りの話を聞く。克山と楢崎の素性。解散後のウイークエンド。瀧沢駿の痕跡について。
「どう? 探偵さん」頬杖で百々が訊く。
「あの説はたまたま思いついただけですよ」往葵は照れて左右に手を振った。「もう、別の考えは出てきませんね……」
「それはきっと、一度解けてしまったからね」
「えっ?」
「矛盾がないだけに、いつまでも同じ筋道に縛られてしまうっていうのはわかるわ。でも、解はただ一つとは限らないのよ。X次乗が1の時、Xは1だけ?」
「マイナス1もあります」突然問われたにもかかわらず、往葵は即答できた。
「そう。本来貴方には、考える力があるのよ」
「頭をほぐさないといけないのかなあ」
「少しだけ不自然な所がない? 梁木原さんの死体を後から移動するにしても、確実に隠し通せる場所があったかしら? そして克山さんが逃げる時、別館に置いてあった車を使わなかったのは何故かしら?」
「そうか……」頭の中で、最初の説が解体されてゆく。
「往葵君! あ。」
 円香が戻ってきてドアを開けるなり声を上げたが、百々の姿に気付いてストップした。城戸も居て二人きりではなかったから、少し助かった……のか?
「東野円香さん」ここで意外な事に、百々が彼女に話し掛け始めた。
「え、何ですか?」
「本館の中を私と往葵君に見せて欲しいのだけど……親族の貴女から、警察にお願いできないかしら?」
「は? 何でですか」
「調べたい事があるんですね?」往葵は百々に訊く。
「ええ、できれば直接確認したい事があるの」
「重要みたいです。円香さん、僕からも頼むよ」
 フォローとしてこちらも円香に話し掛けるが、彼女の表情は硬い。
「……往葵君だけならいいけど」
「百々さんには考えがあるから、ね?」
「じゃあさ」彼女はアゴを引いて往葵までも睨み、唐突すぎる提案をした。「今度あたしとデートしてよ」
「え、ええっ?」
「いいじゃない、パーティーは台無しになっちゃったし。デートしてくれるなら本館見せてもいいよ」
「いや、円香さん」往葵はオロオロとする。「それは事件と関係ないんじゃないかな……」
「それなら、要らないわ」
 百々が素早くそう言って立ち上がった。無表情に見えるが、また付き合いの長い自分にだけは判る。あれは激怒だ。
「いいの? 見たいんじゃないの?」円香は胸を突き出し、甲高い声で突っかかる。
「――机の上のみでできなかった数学的発見など、一つもないのよ」
 ごく静かにこの研究者は言ったが、往葵には目茶苦茶恐かった。
「何言ってんの? もう知らない!」
 部屋を飛び出したのは円香の方だった。『もう知らない』なんて台詞を実際に言う人間がいるとは思わなかったので、往葵はうっかり笑いそうになる。見ると城戸も両手で口を押さえて笑いを堪えていた。
 ふうと溜息をついて、百々は再び座る。
「デートしてあげないの?」こちらを見ていない。恐い。
「いや、事件と関係ないので……」また同じ事を言ってしまった。
「百々っち! あたし警察に何か資料ないか訊いてくるから! ね!」
 雰囲気を察知したのか、城戸が突然明るく言って部屋を出ていった。
「――ごめんなさい」
 二人になると、百々は今度はシュンとなった。
「いえ、そんな、謝られる事なんて」往葵は移動し、彼女の隣に座る。「また貸しスタジオ行きましょうね?」
「うん」百々の表情が元に戻った。やれやれ。
 しかし、自分はこんな時に何をやっているんだか……。

    8

 少しの沈黙。
 百々は、珍しく熱くなってしまった事を反省していた。この先、往葵と円香、そして往葵と自分との関係はどうなってゆくのだろうか。事件の謎は解けるのだろうか。そして――秘かな『ある目的』は達成されるのだろうか。
「何の話でしたっけ?」
 隣の往葵が、さりげない感じで口を開いた。
「貴方と警察が出した結論の、矛盾かしら」
「そうでしたね」
 彼が唇に指を当てるのを、今は何も考えず、ただ見ている。
「百々っち!」しばらくすると城戸が戻ってきた。
「あ、どうだった?」
「警察から本館の平面図貸して貰えたよん」
「わあ、凄いわね」
「この実菜子さんの話術とゴリ押しをナメんじゃないわよぉ」
 百々は早速平面図を受け取って眺める。建物の骨格が精緻に描かれていた。自分の説は――実行可能。
「うん。写真に写ってない所も判るから、すごく参考になるわ。城戸さん、ありがとう」
「役に立った? よっしゃ!」彼女は小さくガッツポーズをした。「そうだ、往葵君も写真見なよ」
 城戸はさっき見せていなかったデジカメを取り出し、電源を入れる。
「パソコンで大きいの見る?」
「いえ、とりあえずこれでいいです」
「はい、これも」百々はさりげなく、平面図も往葵の前へずらす。
「こうして俯瞰すると、奇妙な館ではありますよね。廊下を輪にして、裏口からトイレの方へも出られた方が便利なのに……」
 彼は更に真剣に目を光らせてゆく。この様子なら間もなく、自分と同じ地点に到達するだろう。だが、まだ百々にも解らない事はあった。ある人物の、ある行動の動機だ。あの夢から醒めた時から、ずっと朧げな姿で頭の中を漂っている。
 不意に往葵が、テーブルの端を両手の指でパララパスタタンと敲いた。彼はドラマーであるし、思索に耽りながら無意識にやったのだろう。しかし。
「――往葵君! 今の何?」
「えっ? 最近練習してるタム廻しを指でやっただけですけど。今のは『インワードパラディドル』かな」百々のただならぬ表情に彼は驚いている。
「そうか……ドラムの技だったのね」
 そう、これを聴いた事がある。ごく最近に。
 百々の中で放置されていた記号が、あるべき場所へ収まってゆく。

「綺麗な式が、できたわ」

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