4

 百々はその会話の途中から既に、往葵を心配していた。彼はちょっと推理小説の読み過ぎではないか、と。
 そしてやはり、慶子夫人を怒らせてしまった。彼女は夫を失ったのだ。しかも、浮気を匂わせて。
「朝になるまで、全員でここに居る事にしませんか?」
 できるだけ柔らかい調子を心掛け、この場の沈黙を破った。
「そうだよ、それがいい。どんな状況であれ、固まっていれば安全なんだ」東野氏がハッとしたように顔を上げて、何度も頷く。
 それを合図に、皆は中央のテーブルに注目していた体勢を逸らし、それぞれ溜息をついた。
「では皆様、暖かいお飲み物をお持ちしましょう」
 克山が言った。彼だけはずっと立ったままである。
「キッチンだろ? 誰か付いてった方がいいな」そう言って、楢崎もゆっくりと立ち上がった。結構いい人かもしれない。
「ありがとうございます」
 二人が去ると、あちこちで少しずつ雑談が始まった。今は、慶子夫人のテーブルに時任と中之倉が居る。
「凄い事になったよね」
 城戸が百々に囁いた。パーティーが始まった頃は呑気そうにしていたが、気付いてみると今は目つきが鋭い。なるほど、これが記者の眼か。
「ええ、そうね。貴女は、すぐ山を降りて警察を呼ぶべきだと思う?」
「チームを作って行けば今度はこっちが手薄になるし、実際は微妙かな……。あと不謹慎ではあるけど、あたし的には、留まった方が取材のチャンスになる」
「この事件を記事にするの?」
「まだどうなるかはわかんないし、勿論何もかも生々しく書くって事はないよ。でも、確保するネタは多いほどいいから」
「あまり瀧沢さんに迷惑が掛からないようにして欲しいんだけど……」
「うん、サジ加減はわかってるつもり。でも……」城戸は困ったような顔でこちらを見た。「こういう仕事、軽蔑する?」
「いいえ、そんな事はないわ」百々は首を振る。「わたしもそこまで生真面目な訳じゃないから、心配しないで」
「良かった」
 彼女は少し苦味の混じった笑顔になった。記者をしているせいで友人を失った、というような過去でもあるのだろうか。深読みし過ぎかもしれないが、何か伝わってくる寂しさがあった。
「わたしも、ちょっと状況が変だとは思うのよ……」
 城戸と話し続けていたかったし、往葵の言っていた事に多少触発されてもいたので、百々は喋り出した。
「やっぱり停電の事?」
「何の為に停電させたのかっていう問題もあるけど、それ以前に、走り抜けて行くのが素早すぎたの」
「そうそう、あの時言ってたもんね。死体見たショックで忘れてた」
「だからブレーカーを手で落としたわけじゃないんじゃないかしら。WHYだけじゃなくてHOWね」
「うーん、自分の部屋でクーラーやドライヤーをつけっぱなしにしといて、スピーカーの音量が上がった瞬間に落ちる状態にしてたとか」
「まあ、城戸さん、凄い」百々は目を見開いた。「結構鋭いのね」
「あれっ、実際にそんな事できるかな?」本人は自信がなかったようだ。
「ワット数を計算すればできると思うわ」
「あ、そうじゃなくてもさ、そういう消費電力の大きい機械をタコ足にまとめて、キッチンタイマーに繋ぐ手もあるかも!」
「じゃあ、まだ証拠が残ってるのかしら」
「克山さん達が戻って来たら探しに行ってみようよ」
「うーん、そうね」百々は唇に軽く指を当てた。そんな行為は本来警察の仕事だが、朝までに誰かが隠してしまう可能性も、少しはあるだろうか。
「とりあえず、HOWは解決ね」城戸がやや大雑把に話を進める。「WHYについてはアイデアある?」
「ちょっと考えてる事はあるんだけど……」
「なになに?」
「まだ言えないわ」
「え〜」
 それは恐ろしい可能性だった。もう少し考えをまとめなければ、口にできない。
「これはきっと、計画犯罪なのよ……」それでもポツリと、言葉が漏れた。
「えっ、どういう事?」
「このクリスマスのスケジュールは予め決まっていたのだし、準備さえしていれば、それなりの仕掛けを作り出せる」
「そうかもしれないけど……」
「私達は、既に何か大きな見間違いをさせられてるんじゃないかしら」
「まさか、殺人犯があのメイドさんじゃないっていうの?」
 百々は無言で城戸の目を見た。その衝突の感触で、自分自身の視線がいつしか、彼女に劣らぬ鋭さを湛えていた事に気付いた。

    5

 円香は、黙りこくった往葵に声を掛けていた。
「ねえ、元気出して! 往葵君も悪気があったわけじゃないのにね」
「うん、でも、本当に失礼な事を言っちゃったから」彼は苦笑する。
「状況を整理する事が、安全な行動に繋がるというのはよくわかるんだがね」
 父も困ったような微笑を浮かべて言った。今は、同じテーブルにつくこの三人で会話している。
「よくあれだけ物事を考えられるなって感心したよぉ? 往葵君はもっと推理を続けるべきだと思う」円香はさっき会話の中心になっている彼を、(格好いいなぁ)と思って眺めていたのだ。
「そうかなあ」
「あたしが相手するから、もうちょっとお話してよ」
「推理と言ったってね、犯人は梁木原さんに決まってるんだから……」父が口を挟む。
「何かひっかかる事があるんでしょ?」
「うーん、そうですね」往葵は一度ギュッと目を閉じ、また開いた。光が戻っている。そして父へ向かって訊いた。「東野さんは、あの倒れていた方を駿さんだと思いますか?」
「ああ、僕から見てもそうだね。服装が同じなんだ」
「なるほど……別館で一度会ってらっしゃったんでしたね」
「スーツのズボンにワイシャツでしょ? あんな服の人なんていくらでもいるじゃない」円香は突っかかる。
「いや、僕は一応、服の細かいデザインなんかはよく憶えてる方なんだよぉ」娘に向かって話す時は、少し口調が崩れる父であった。
「ふぅん」
「それじゃあ、基本的なデータを仕入れておこうかな。梁木原さんは何年前からここに?」往葵が姿勢を正して質問を始めた。
「五年くらいかなぁ。克山さんは十年くらい」こちらが応え、父も頷く。
「ふむ……」彼は顎に手を当てた。円香はそれを盗み見て、(色っぽいなぁ)などと密かに鑑賞する。
「他によく、ここに出入りしている方は?」
「最近は全くいないね。かなり以前には『ウイークエンド』の苗場さんがたまに顔を見せていたんだが、どうも亡くなられたようだ」今度は父が応えた。
「そうだったんですか。あのバンドのドラマーでしたよね」
「ああ」
「他に関係者はなしか……」
「ねー、さっき話してた、停電の謎は?」
「そうだね、あっ、あれっ?」
 彼は急に、空中を見つめた。
「どぉしたの?」
「いや、今思いついた事があるんです。誰も梁木原さんの姿を見ていない」
「そりゃあ、暗かったもんね。でも足音がしたでしょ」
「彼女があの時ホールを走り抜けたと、皆認識した。しかし、そう思い込ませようとしたとしたら?」
「えっ、誰かが代わりに走ったって事? それじゃ一人足りなくなるんじゃない」
「簡単なトリックだよ。カーテンの下をくぐればいい」
「あ! そっか」
「あれは『壁』だといつの間にか認識してしまっているけど、実際はどこでも通過できるんです。おそらくステージ側から回り込んで、何食わぬ顔で僕達の会話に参加した」
「むう、なるほど」父も唸った。
「何故わざわざ停電させなければならないのか、という疑問が、これで説明できる」
 円香はぞわっと背筋に寒気を感じた。恐怖にではない。往葵の知的さにしびれたのだ。
「じゃあそれは誰なんだ? そして梁木原さん本人は何処に居る?」
「可能性が圧倒的に高いのは、克山さんです。他の人にもできないわけではないですが、走り出す位置につく事と元の席に戻る事、そのどちらかが難しい」
「ええっ、克山が……」
 これが身近な事件である事を、円香は忘れていた。そうだ、これはゲームではないのだ。よく知っている誰かのうちの一人が恐ろしい行動を起こし、伯父はもう帰って来ない。
「梁木原さんは何処かに隠れているか、もしくは既に死んでいる」
「何だと」父が慌てたように腰を浮かせる。
「彼女の居室などもまだよく調べていませんが、確認が必要ですね」
「あれ、ちょっと待って……」
 円香は周りを見渡して呟いた。
「どうした?」
「克山と楢崎さん、飲み物を持って来るって言ってたけど、遅すぎない?」
「しまった!」
 男性二人は同時に叫んで立ち上がった。
 
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