3

「そう、動機がわからないのよ」
 百々は、そう言葉を発すると同時に目を覚ました。夢の中で何かを掴んだ気がする。
「へ? どうしたの」隣のベッドにいた城戸が、目を擦りながら起き上がった。
 窓の外は明るく、時計を見ると午後三時。睡眠は五時間余りか。背中がやたらと冷えているので何故かと思ったが、クマの縫いぐるみが無いため、無意識に掛け布団を抱き締めていたようである。
「ああ城戸さん、ごめんなさい。起こしちゃった?」
「いーよ、あたしもそこそこ寝たから。何か寝言?」
「えーと、……そう!」ガバリと身体をベッドから起こす。「克山さんと楢崎さんの素性を調べる事ってできない?」
 急に見つめられた城戸は目を丸くしたが、すぐニヤリと笑った。
「それなら朝のうちに、編集部に電話して頼んどいたよ」
「わあ、流石ね」百々は掌を胸の前で合わせた。
「判明次第かかってくる筈なんだけど、遅いなあ、無能どもめ!とりあえずハラ減った」隣の彼女は、乱暴な言葉遣いをしながら床に足を下ろす。
「食事はどうなるのかしら……」
「警察が何かくれるんじゃない?」
 城戸はスタスタとドアまで歩き、廊下に首を出した。
「あのー、食べる物ってありませんか」
「あちらの車輌で聞いてみて下さい」すぐ傍に警官が立っていたらしい。
「二人分貰ってくるねー」彼女はこちらを向いてそう言うと、すぐ出ていってしまった。起き抜けなのに動作が俊敏である。百々の方はかなり朝に弱く、しばらくはぼーっとしてしまうタイプだった。
「あ、フリーズしてる」
 声が聞こえて、ハッとする。いつの間にか城戸の顔が目の前にあった。また数分間、意識が飛んでいたらしい。
「ホラ、これ食べて起動して」
「うん……」
 百々は少し顔を赤くしながらベッドを下り、二人でテーブルについた。ビニールの包みを開けると、シンプルなサンドイッチが入っている。他には缶コーヒーが二本ゲットされていた。
「贅沢は言えないけどさ、なんかしょっぼいねー」
「そう?」理系の人間は、食事=エネルギーの補給と考えているため、味へのこだわりが薄い。
「そうだよー。こういうのって一体どこから取り寄せてるんだろ。殺人事件より謎だわ」
「あはは。……警察の雰囲気はどうだった?」百々は話題を切り替えた。
「まだ緊張感あったね。少なくとも、克山は見つかってない」もぐもぐと口を動かしながらも、城戸の目つきは既に鋭くなっている。
 百々が応えずに思案していると、部屋の電話が鳴った。城戸が飛びつく。
「はい。あー編集長? 何か判った?」
『おう、絶好のチャンスだ、サポートは惜しまんから、いいネタ掘り尽くして来いよ!』
 少し近寄ってみると、昨日の中之倉の場合と同じく、相手の声が漏れ聞こえた。
『まず克山だがな、対外的には克山無亭と名乗ってるが、そんな戸籍を持つ人間は実在しない』
「偽名なの?」
『ああ。それでな、聞いて驚け、どうも奴は瀧沢邦親の隠し子らしいんだな』
「ええーっ? マジで? それ、ベタ過ぎない?」
『ベタかどうかなんて知らん。ほぼ間違いない情報だ。大体、実の息子だからこそ、近くに置いて仕事を融通してやってんじゃないのか?』
「うーん、そりゃそうね」城戸は受話器を持ったまま、片手で腕組みをする。
「随分とわかりやすい動機になりそうね」百々が横から口を挟んだ。
『ん? 誰かそこにいるのか?』
「ああ、頭の切れるお友達ができたの。絶対役に立つから、そのまま話聞かせて」
『そうか、ともかくそちらのお嬢さんが言ったように、克山は明らかに瀧沢駿が死んで得をする人間だったってわけだ』
「遺産か……」
『既に死んだ東野清香に関しても、怪しい所がないか突っ込んでみてる所だ』
 その名前は初耳だったが、円香の母親だろう。
「楢崎さんについては調べてくれた?」城戸が訊く。
『おう調べたさ。するとだな、見事にわからんかった』
「ちょっと! しっかり調べて下さいよ!」
『違う! わからんという事がわかったんだ』
(カオスか……)編集長の言葉に、百々は心の中で呟いた。
「え? じゃあ、どう調べても情報自体が存在しないっていうパターンですか?」
『そうだ。事務所も経歴不詳という事にしてるんだが、スキャンダル対策にしては完璧すぎる。元々孤児か何かだったのかもしれん』
「ああ、なるほどね」今度は、思わず呟いた。
「え、百々っち、何か解った?」
「とても参考になりました。ご苦労様です」
 百々はそう言いながら、受話器へ向かって丁重に礼をしてしまった。そのせいで、城戸が吹き出しそうになって口を押さえる。
『いや〜どういたしまして。城戸、彼女は美人か?』
「そんなの関係ないでしょ! 他には何かないの?」
『今回調べたわけじゃないんだが、ウイークエンドのドラマーをやってた苗場陵一についてなら、知ってる事がある』
「それも是非」百々はパッと顔を上げた。
「編集長、なんでそんな情報が?」
『そもそも奴がいつの間にか死んでたとわかった時、まだヒラだった俺自身が走り回って調べたからさ』
「そうなんですか! それで?」
『これがえらく胡散臭かったんだ。一応九年ほど前に事故で焼死したっちゅう事になってるものの、公式の情報は全く流れていない。少数の遺族だけでこっそり葬式を上げたようなんだが、妻が喪主として出席したという証言がやっと取れただけ。記事にはならんかった』
「ちょい物足りないなあ」城戸が鼻で溜息をつく。
『だがこれは、警察も知らん貴重な情報だという事がわからんか?』
「私にはわかります。ありがとうございました」また百々は、受話器の向こうへ声を掛けた。
『いやあ、理知的ですね。城戸、その彼女の写真を送』
 城戸はとっとと電話を切った。

    4

 瀧沢邦親、一九三九年生まれ・六十七歳。六十年代のグループサウンズ全盛期、まずは作曲家として世に出る。
 GSへ提供したいくつかの曲はヒットしたが、彼にとってそれはまだまだ、納得のいかない作品だった。ベースが脱退したバンドにサポートで加わるなどしてしばらく生活するが、やはり自分だけの音楽をやろうと、『ウイークエンド』を結成。
 バンド『ウイークエンド』は、ヴォーカル神子柴有(みこしば たもつ)・ギター薮真次・ベース瀧沢邦親・ドラム苗場陵一の四人組である。洋楽にも劣らないモダンな瀧沢のメロディーに神子柴が絶妙な歌詞を乗せ、高いレベルで演奏されるその楽曲群は、『日本語ロックの祖』と現在に至るまで尊敬を集めている。
 バンド名の『イ』の部分を始めとして神子柴は独特のカタカナ表記を用い(ちなみにこの傾向は、後年アイドルへ提供した歌詞も同様であった)、作品名には『サタデイ』や『ウイークエンド・シャフー』などがある。
 しかしそんな奇跡的なグループによくあるように、解散は早かった。彼らが制作したアルバムは三枚のみである。いや、名盤を三枚も残してくれたと言うべきかもしれないのだが。
 解散後、神子柴はソロに転向し八十年代にはヒットを出した。その後もマイペースで活動を続け、数年毎に質の高い作品を発表し続けている。
 薮も新たなバンドに参加する他、スタジオミュージシャンとしても活躍し、今でも一線のギタリストである。
 瀧沢はプロデューサーとして裏方に回る道を選んだ。自ら設立したレコード会社で、時任由芽子を始めとした複数のアーティストを一流に育て上げている。そして九十年代に入ると引退し、田舎に建てた館に籠もるようになった。
 苗場はその瀧沢のプロジェクトをドラマーとしてサポートし続けていた。時任の初期のアルバムで叩いているのも彼である。しかしいつの間にか業界から姿を消し、どうも死去したらしいという噂だけが流れた。

 食事を終えると城戸がノートパソコンを取り出し、インターネット(幸い、原始的なアナログモデムでの接続に成功)でウイークエンドについて調べてみたのである。ただし情報は表層的なものばかりで、元々百々が持っていた知識と大差なかった。苗場の行方についても信憑性の低い噂しか出てこない。
 情報収集を切り上げ、二人は部屋の外へ出てみた。廊下に警官が背筋を伸ばして立っており、大きなガラス窓の外では捜査員が何人か走り回っている。
 もうすっかりモヤは晴れていた。昨晩はそのせいで気付かなかったが、建物の向かい側に小さな滝が流れている。わざわざ造成したのかこの場所を選んで別館が建てられたのかはわからないが、勿論瀧沢の名と掛けているのだろう。しかし今は、犇めく警察車輌によって趣も台無しである。
 そんなアンバランスな景色を眺めていると、狭くなった玄関先へスルスルと黒塗りの車が入ってきた。百々はわざわざそこまで来なくてもと思ったが、降り立ったスーツ姿の男に周りの者が次々と敬礼している。どうやら重要人物のようである。
「おっ、渋〜い」いい男だと思ったのか、城戸はニヤついていた。
 木村警部が慌てたように玄関から飛び出し、彼に話し掛けている。ペコペコとまでは行かないものの、やたらと恐縮した様子である。ポケットに手を突っ込んでしばらく立ち話をした後、男は再び後部座席へ乗り込んだ。車は慎重にバックして出ていく。
「あれっ、もう帰っちゃった」城戸が背伸びして門の外を眺めた。
「本館を見に行ったのよ。現場はあっちなんだから」
「あ、そっか」
 木村の方は別館の中へ戻って来て、一階の廊下に立つ二人に気付いた。
「おや希理優さん、城戸さん、休めまスたか?」
「ええ、少し眠りました」百々が応える。
「今、事件を担当される県警の警部さんが到着しまスてね、三十分後ぐらいから、また一人ずつ事件についてお話を伺う事になります」
「そうですか、わかりました」
「起きてらっしゃるのなら、お二人から始めてもよろスいですか」
「はい」
「木村警部、克山氏の足取りは掴めましたか?」城戸が唐突に口を出した。
「いンや……現在のところ全く。山狩りもスたんですがね」彼は少し嫌な顔をする。彼女が雑誌記者である事を、既に承知しているのかもしれない。
「電車などを利用した可能性は?」
「駅へ迅速に辿り着けていれば、始発は筒抜けですよ」
「ああ、私達がもっと早く通報していれば捕まえられたんでしょうかねえ」城戸は腕組みをして一歩後ろへ下がった。
「あの状況じゃ仕方なかったわ」百々がフォローする。
「ええ、こちらも、あなた方を責めるつもりは全くありませんので。ではまた後ほど」木村は話を打ち切って離れていった。
「うーん、負い目があっちゃ攻め切れないなあ」
「克山さんに関しては、もういいわ」
「えっ、そうなの?」
 驚く城戸を尻目に、百々は103号室のドアをノックした。
「……はい」ややあって往葵の声が応える。
「往葵君、起きてた?」
「ええ、ついさっき」彼がドアを開けた。楽な服装になっている。「いつごろ帰れるんでしょうね?」
「まだまだよ。もうすぐ詳しい事情聴取があるみたい」
「そうか……進展はなしですね?」
「私のアタマの外ではね」百々は変わった言い回しをした。が、往葵は見事受け止めた。
「百々さんには何か別の考えがあるってことですか?」
「城戸さんが情報を仕入れてくれたから、あなたも聞いてみない?」
「はい」彼はニコリとして素直に応える。
 ところがその時、円香が階段を降りてパタパタと走ってきた。
「往葵君、おはよー!」彼女は百々の前に割り込んで彼に話し掛ける。
「ああ……おはよう」往葵は肩を竦めるようにして応えた。
「202号室は警察が使うからって、パパの部屋に移動させられちゃったんだよぉ。ここでお話しよ」
「え、えーとね、今は」
「じゃあまた後でね」百々は冷たい声で会話を遮り、プイと横を向いた。
「え、あの」
「さー入ろ」円香が喋りかけた往葵を103号室に押し入れる。
 百々は、自分の部屋へスタスタと戻った。城戸は口元を片手で押さえて無言のまま付いてきたが、目がちょっと笑っている。
 ドサリとソファに座り込んで脚を組んだ。この程度の事で心を乱してはいけない。しかし、勝手に長い溜息が出た。
「……訊いていい?」城戸が口元の手をどける。
「……何よ」
「あの若い彼と、一体どういう関係なの?」
「そんなの、あたしにもわからないわよ!」
 
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