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「おい、お義父さんの方は大丈夫だろうか」
 東野氏が不安げに言い出した。
「地下には誰も下りられないと思いますが……」克山はそう応えながらスタスタと歩き、階段室に鍵が掛かっている事を確認している。「インターフォンでお呼び掛けしてみます。電話回線とは別系統になっている筈です」
「直接、様子を見に行かなくていいんですか?」往葵は驚いた。
「本当に人に会う事を嫌うお方ですから。あのセレモニーは特別なのです」
 これはちょっと理解できない。人が一人、死んでいるというのに……。
 さっきは克山の行動に往葵が付いていったが、惨劇を目の当たりにした事で、東野氏もそれに加わった。
「皆さんはそこに固まったままで、一人だけ離れたりしないようにして下さい」往葵は残った面々へそう声を掛けてから歩き出す。
「とんでもない事になった……もっと真剣に探していれば……」東野氏が低い声で呟いた。
「とは言っても、殺害されるまでの状況がまるで判りませんよ」
「うーん、梁木原さんの居室にでも居て、僕らが地下に行っている間に、何か話がこじれたんじゃないか」
 そんな会話をしながらも、克山の後を追ってキッチンに急ぐ。奥へ進むと、壁に小型エレベータと思われる機械があった。脇のボタンが押され、ピーッという電子音。
『何だい』
 数秒待つと、小さなスピーカーから雑音混じりの声が応えた。とりあえず、邦親氏は無事のようだ。
「旦那様、駿様が……何者かに殺害されておりました」
『――ほう』
 往葵はこの声を聞いて、ゾッとした。
 邦親氏が、ニヤリと恐ろしい笑みを洩らしている――そんな映像が突如、脳裏に浮かび上がったのだ。
 インターホンの音質が悪いので、細かい感情を読み取れる気はしない。いやそもそも、駿氏は彼の実の息子ではないか。どうしてそんな想像をしてしまったのか?
「そして……梁木原さんが行方不明です」克山は説明を続けている。「どうやら電話線が切られているようでして、まだ警察に連絡する事もできません。そちらに、危険な気配はございませんか」
『全く無いね。気にしなくていい』
 邦親氏は軽く言った。やはり、息子の死にショックを受けている風ではなかった。
「わたくし達と共に居られるのが最も安全かと思いますが、いかがでしょうか」
『分かってるだろう? 僕は音楽の探求を続けてるんだ。一時も、ここを出る気なんてない』
「では、くれぐれもお気をつけて……。」
 会話はそうして、あっさりと終わってしまった。こいつらは、どうかしていると思う。
「克山さん、一応別の電話もチェックをお願いします」
 往葵はこの部屋の電話機に目を留めると、気を取り直して提案した。
「そうですね」
「ああ、バスはどうしたんだ? もしかして彼女が乗って行ってしまったのか?」東野氏が言った。
「いえ、カギがないはずです」克山は機械をいじりながら、背後へ向かって応えている。彼のポケットにあるものの他、スペアキーも存在しないという事か。
「しかし、わざわざ電話線を切ったのならば……」
 往葵は、ある可能性に気付いて表情を歪めた。
「まさか」東野氏も顔を強ばらせる。
「やはり電話は通じません」克山は振り返った。「バスを見に行きましょう」
 三人はほとんど走るようにして皆の方へ戻った。邦親氏と電話線の件を伝えると、すぐ外に出る。
 ここへやってきた時と同じ、濃い霧に包まれた森が両側に迫っている。バスは確かにあった。しかし。
「ほら、タイヤが……。」
 またも往葵の予想通り、タイヤの空気が四つとも抜けていた。ゴムの面に尖った物を何度も叩き付けたような跡があり、とても走れそうにない。
「参ったな。本当にこんな事をしでかす輩がいるとは」東野氏は頭を斜め下へ垂れた。
 慶子夫人が意識を取り戻したようなので、ひとまず玄関に鍵を掛けて全員でホールへ戻る。皆がとにかく、椅子に座りたかった。
「別館まで、徒歩だと何分くらいかかるんですか?」
 往葵はテーブルの上で手を組み、再び中心となって話し始めた。自分がこの場で最も落ち着いているようである。
「三十分近くかかるかと」克山が質問に応えた。
「ジョギングならもっと速かったよ、多分」円香はまだ幾分元気で、学校の授業のように挙手しながら発言した。
「でも、暗い時に走るのはちょっと無理があるよ」東野氏は娘の方を見て苦笑する。
「どちらにしろ、犯人がそこへ辿り着くのはなんとかなるとして……別館には別の車がありましたね」
「楢崎さんのジープとォ、僕の機材車ですね。アッ――!」中之倉はそこでビクッと背筋を伸ばした。「キーがつけっぱなしだった! あちゃあ、すみません、どうせ何もないだろうって、だってそうじゃないですか、まさかこんな事があるなんて、想像もつかないわけでヘェ」早口で喋りながら、泣き笑いのような顔になってくる。
「わ・か・り・ました」往葵は無駄な言い訳を遮った。「梁木原さんは運転もできますか?」
「……ええ」克山がワンテンポ遅れて応える。
「じゃあ、それに乗って逃走するかもしれませんね。そして万全を期すなら、ジープの方はタイヤを潰して、あちらの電話線も切る」
 まだ皆はそこまで考えていなかったようで、小さなどよめきが起こった。
「じゃあ僕らがこれから下に行っても、もう無駄なのか? 街まではその倍くらいだが……この霧だしな、ちょっとぞっとしない」東野氏が言う。
「ここで大人しくしていた方がいいんじゃないですかァ?」中之倉は大きな身体を縮めていた。
「我々を移動できなくさせて、更に誰か殺すチャンスを狙っていなければ、ですけどね」往葵は、最悪の可能性を提出した。
「ヒエエェエ」限界まで縮んでいた彼がもっと小さくなった。
「いくら何でも、それはないだろう」
 東野氏が眉間にシワを寄せて応える。
「一時間くらいだったら、歩けばいいじゃないですか」意外にも、時任由芽子が勇ましい事を言い出した。「三人以上のチームなら、誰か襲って来ても平気でしょう? 私行けますから、あと二人いませんか?」
 皆はそれを聞いて、顔を見合わせる。あと二人の立候補者がすぐに現れる事はなかった。
「でもそんな、時任さんを危険な目に遭わせる訳には……」引っ込んでいた百々が、さすがに彼女絡みでは心配して発言する。
「大丈夫よ。体力だって、この中で一番あるのは私じゃない?」
 男性陣を差し置いて、という事だが、それでも事実かもしれない。彼女はあれだけハードなコンサートをこなすため、ジム等にも通っている筈だった。東野氏などは自信がないのか、一人苦笑している。
「うーん、あたしも行けます!」
 今度は城戸が手を挙げてしまった。遂に男性陣全員が、苦笑。
「ちょっと待って下さい。どちらが危険か……少し状況を考えてみましょう」
 往葵は提案した。皆が素直にこちらを見たので、先を続ける。
「梁木原さんがプレゼントルームをあの状態にして、ディナーショーの最中、停電に乗じて逃げ出した――これでいいのでしょうか?」
「そうだと思うが、違うのかね?」東野氏がまず話に乗ってきた。「一度あの部屋に入ってから、僕達と克山さんはずっと一緒に行動していた。そして地下から上がってきてパーティーが始まったわけだが、停電するまでに二十分も経っていない」
「ええ、今ここにいるメンバーには全くチャンスがありません。瀧沢邦親氏は微妙ですが、時間が足りないでしょうね」
「旦那様がそんな事をされるなど、有り得ません」執事克山が、鋭く往葵を睨んだ。
「はい、梁木原さんにしか犯行は不可能としましょう。しかし僕には不思議に感じる事があります。何故彼女は、あのタイミングで逃げ出したのか。そして何故わざわざ停電を起こしたのか」
「それはあの手紙をドアに貼り付けるためと、皆を混乱させて確実に逃走するためじゃないかね」東野氏が応える。
「ちょっと演出が過ぎませんか? 裏口からこっそり出るのが現実的だと思います」
「あの時バスのタイヤに穴を開けたんじゃないの? つまり、ホールを横切って玄関側に移動するために停電させた」城戸が口を出した。
「いえ、あれは見たところ、ゴムが硬くてそれなりに手間がかかったようです。タイヤを潰したのも僕らが地下にいる間ではないでしょうか」
「うーん」彼女は腕組みで唸る。
「電話線を切るのに手間取って、克山さんの目を盗みつつ、あの時やっとそれが完了した、というのはどうだね」東野氏が考え考え言った。
「なるほど……」その意見は、結構的確だ。「克山さん、彼女の様子はいかがでした? また、切断箇所はわかりませんか」
「そうですね、わたくしも皆様のお飲み物のサービス等をしておりましたので、彼女の行動はよく把握していないのです」彼は首を傾け、申し訳なさそうに言った。「電話線を切断した位置は皆目見当もつきません。確か別館まで、道路の地下を通していた筈ですが」
 それを聞いて、森に電柱の姿が無かった事を思い出す。
「東野さんの案で一応説明はつきますね」
「いや、プロのメイドとして、料理は完成させていきたかったんじゃねえか?」楢崎がニヤニヤして言った。どうやらジョークのようである。
「そ、そりゃないですよォ。そんなの食べたくないし……。」中之倉だけが反応する。
 往葵がふと円香を見ると、口を手で押さえていた。人殺しの作った料理を食べてしまった、と今更思い当たったのだろう。
「プロ意識はともかく、料理と言えば……睡眠薬を入れて隙を窺うという手もありますが、それならもっと沢山食べるまで待つでしょうから、まあ大丈夫かな」
 大丈夫だと思っているくせにわざわざ口に出してしまったため、他の人々も口元へ手をやって顔をしかめた。
「いや、すみません、気持ちの悪い事を言って」
「そうよ、やめて下さいな……」慶子夫人が不快な表情で呟く。
「ああ、皆様、ご空腹でしょう? 後ほどわたくしが改めて食事をお出ししますので。念のため安全なものを作り直します」克山がそう言ったが、きっとしばらくは、誰も食欲が湧かないだろう。
「ところで、確認しておきたいのですが……あれは瀧沢駿さん本人でしょうか?」
 顔の判らない死体というのも、定番である。さすがに首を切る時間はなかったようだ。
「奥さん、いかがですか?」往葵は慶子夫人に向かって訊く。
「は? 何を言っているの? 見間違うもんですか」
 こちらは冷静に状況を整理しているつもりだったのだが、彼女はそう言いながらどんどん顔を歪めてゆき、遂には叫び出した。
「あなた、さっきから偉そうに不吉な事ばっかり……」
「いえ、それは」
 掌を前に出して弁解しようとするが相手は意に介さず、急に立ち上がって金切り声を上げた。

「何様のつもりよ!」

 全員沈黙。嫌な雰囲気が広がる中、楢崎が吹き出した。
 ああ……、探偵役というのは、そう突っ込まれると痛い。
 
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